【日本平事件】


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責任感と退場と  
Date_ 2007.03.25 & 2007.06.16
Event 清水戦
事件度 3
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試合終了のホイッスルと同時にガクっと膝をついてうなだれる…、そんな勇蔵を見たのは07年3月25日、日本平でのナビスコ予選が初めてだった。中澤、松田が不在の中で、チームの中堅になったという実感と責任感が湧いた試合だったと思われる。
新しい布陣、純国産のメンバーでなんとか引き分けで終えたこの試合は07シーズンの転機になった。チームにとっても、そして勇蔵にとっても。

その後ノリノリのゴールデンウィーク、急降下の5月後半、とチームは好不調を繰り返すが、勇蔵は一貫してスタメン出場していた。
3.25から2ヶ月が経ったころ、「もうこれでスタメンはもらった」と確信したのかもしれない。6月9日ホームジェフ戦では今までにない「やる気」ある勇蔵が見られた。(「消えた羽生」参照)

そして6月16日清水戦の前日練習。いつものように全体シュート練習を終えると彼は誰よりも先に”一人で”ファンサービスエリアにやってきた。そつなくサインや写真に応じ、終わると一人でクールダウンのランニングを始めた。これは初めて見た光景だった。

そう、”オレがやらなきゃ”という責任感がジェフ戦から明らかに形になって見えるようになったのだ。

そして再びやってきた初夏の日本平。今思えば、その責任感をどう表現してよいかわからなかったのかもしれない。(それに暑かった)試合開始直後から破滅的なファウルを繰り返し、最後は岡崎をオリャーっと投げとばす、投げ技とも思えるファウルで2枚目の警告を受け、あっけなく退場してしまう。

完全に空回りだった。
この時はまだ事の重大さに気付いていなかった勇蔵だが、次節から松田が復帰し、しばらくベンチを暖めることとなる。

ここまで大きく見れば苦労らしい苦労をしていない(と言うと本人に怒られるかもしれないが)勇蔵である。「まだまだ勉強しないといけない」とこの試練で思い知ったらしく(10.20のマッチデイプログラムのインタビュー参照)、結果として日本平事件が彼の成長に大きな役割を果たしたのだった。

・・・・・・・・・と思うことにしよう。
 2007/11/12(月)/17:44:36  No.21

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